最近ある新聞社から、「岐路に立つ自公連立」というテーマで、「従来の関係を見直すべきか、関係改善には何が必要なのか」という取材を受けました。
記者とのやり取りを思い出しながら、私の考えを述べてみたいと思います。
記
<石井幹事長の、「東京における自公の信頼関係は地に落ちた」との発言以来、自公両党の軋みが目立ちますがどのように見ていますか。また自公は、連立関係を維持できると思いますか>
〇自民党と公明党が連立を組んで24年になります。その間、お互いに我慢していたものが積もり積もって表に出てきたのでしょう。例えば、選挙の際、公明党が自民党に出す組織票に対し、自民党から公明党に来る票が少なすぎるといった不満をよく耳にします。そういった不満が徐々に高じてしまったのではないでしょうか。
〇自公の信頼関係は、野党に転落した3年3か月の間も続いていたのですよ。この24年間は、風雪に耐えた24年間です。少々のことでは、潰れません。
<公明党のベテラン議員が引退し、官邸も含めて自公のパイプが細くなったとの指摘がありますが>
〇自公は、生まれも育ちも全く違う政党が一緒になったのですからお互いの意思の疎通が一番大事ですね。連立政権を作ることも難しいのですが、それを維持することはもっと難しいことです。
現に、「自社さ連立政権」は4年間、「民社国連立政権」も8か月しか持ちませんでした。それに比べ、自公は、24年も連立を維持してきたのです。自公両党で築き上げた信頼関係の賜物であり、憲政史上初めての快挙と言ってよいのではないでしょうか。
〇政策のベクトルの違う自公が一緒になることによって、自民党が得意とする外交・安全保障だけでなく、公明党の得意とする平和や人権・社会保障政策まで実現でき、与党としての政策に幅が広がりました。自公連立24年間は、自公の連立によって「中庸の政治」が実現できるということで、自民党支持者だけでなく広く国民の支持と理解が得られた結果だと思います。
〇自公のパイプ作り、信頼関係の構築には大変努力をしました。殊に「奇人、変人」と言われた小泉内閣、「美しい国・日本」・「戦後レジームからの脱却」を標榜する安倍内閣は、これまでの小渕内閣、森内閣といささか肌色が違っており人脈作りには大変苦労しました。
小泉内閣時代の公明党国対委員長・東順治氏は、率先垂範でした。足繁く官邸に通い、いつの間にかお互いを「純ちゃん」「順ちゃん」と呼び合い、感銘を受けた本の読後感を論じ合う関係を作りました。
「総理。ちょっと、いいですか?」「はい、太田さん。どうぞ!」、これだけで総理官邸に入れる太田前代表と安倍総理の関係は、特別です。この関係は、志半ばで総理を辞した失意の安倍さんを太田さんが、ずっと激励し支えて来たことによるものです。政治の世界は残酷ですね。「安倍さんの時代は終わった」と言って安倍さんの周りからどんどん人が去って行った頃の話です。太田さんの友情を、安倍さんは決して忘れていなかったのですね。
斎藤政調会長のカウンターパートは、中川昭一自民党政調会長です。斎藤さんは、広島から上京すると必ず名物のもみじ饅頭を手土産に中川さんの部屋を訪れたものです。
私も、二階さんとは、「紀伊国屋」と「越後屋」、大島さんとは「悪代官」と「越後屋」の関係を築きました。
こうやって、自公の要所・要所で「本音で話し合える関係」を作り上げてきたのです。
<そもそも、24年前自公連立の契機は、何だったのですか>
〇日本発の金融危機を回避するために、公明党が自民党に協力したことが発端です。
小渕内閣時代は、参院で自民党が過半数に満たない「ねじれ国会」でした。従って、金融関連法案を成立させるためには、野党の協力が必要だったのですが、民主党も自由党も解散を迫るばかりで一向に協力しようとはしませんでした。しかし公明党は、「今は、政局よりも日本発の金融危機を回避して国民生活を守る事が大切」と考え、野党でありながらも法案成立に協力して金融危機を乗り越えたのです。
ミスター円と言われた経済評論家の榊原英資氏は、「あの時の公明党の判断で金融危機が回避された」と評価されていたと聞いています。
金融危機は去っても「ねじれ国会」はそのままで、小渕内閣は不安定で苦しい国会運営を強いられます。そんな政治状況の中で「政治の安定」のために自民党との連立を決意したのです。
〇いま自公連立政権は、防衛力の強化問題、脱原発政策の転換、異次限の少子化対策など、正に日本の歴史の曲がり角ともいうべき大きな課題に直面しています。
自公連立の発端は、政局や選挙ではなく、国民生活のために政治を安定させることにあったのです。その意味で、自公は、もう一度、原点に立ち返ることが、必要ではないでしょうか。
<選挙協力における自公の緊張関係について>
〇選挙は、政党にとって死活問題であり、連立政権にとっても最も緊張する課題です。違う政党が一緒に選挙をするわけですから、互いに尊敬の精神を持って、辛抱強く妥協点を探る努力が必要です。
端的な例は、自民党は公明党とは違う組織形態だということです。組織で動く公明党は上が「自民支持」言えば下も従ってくれますが、自民党は違います。私はよく仲間に「自民は陣営の門戸を開いてくれるだけで良いんだ」と言います。門戸を開いてくれれば直接信
頼関係を作れますが、開いてくれないと入っていけない。だから門戸を開いてくれることに大きな意味があります。自民は公明とは違う組織だということを前提に協力関係を築かなければならないと思います。
〇私は、選挙になるとよく自民党の皆さんに企業や団体を案内してもらいました。自民党の陣営ですから、公明党独自では入ってゆけません。門戸さえ開いて貰えば、その後自民党支持者の皆さんの協力を得られるか否かは私の努力次第です。
<漆原さんは、二階・大島両国対委員長と大変深い関係と聞いていますが、どのようにして信頼関係を構築したのですか>
〇結論から申し上げれば、私は何もしていません。ただ、両氏の懐に飛び込んだだけです。
当時の両国対委員長は、既に大臣も歴任された方でもあり、経験豊かな政治家として見上げるべき存在でした。幸いなことに、両委員長とも自公連立の重要性をよく理解しておられる方でしたので私は大変助けていただきました。
〇こんなことがありましたね。ある時、二階国対委員長から「何かあってから会うのでは遅い、私たちは毎日お会いしましょう」と声を掛けてもらいました、正式な会合とは別に毎朝8時から30分、個人的に会うのです。この個人的な会は、次の大島国対委員長にも引き継がれました。
お茶を飲むだけで、特段の話はないのですが、私にとっては、得難い経験であり大変勉強になりました。
余談ですが、このお茶飲み会が毎朝何年間も続くのです。時にはお互いにうとうとしていても、充分気持ちが通い合い満足した気分になるから不思議なものですね。
もし今、自公のパイプが細いのであれば、自公の幹部はそれを太くするための努力をすれば良いだけのことです。
以上
2023年8月25日
元公明党国対委員長 漆原 良夫