令和4年7月22日
【第9弾
 
巨星墜つ

 

★7月8日、安倍元総理が凶弾に斃れた。奈良市内で参院選応援の街頭演説の最中の出来事でありました。
 憎みても余りあるこの蛮行! 余りの衝撃に言葉が思い浮かびません。国内外の多くの皆さんが、真心から弔意と哀悼の意を表して下さったことに慰められています。
 安倍さんの総理在位と私の国対委員長在任期間は、ほぼ重なります。私の国対委員長8年間は、安倍さんとの戦いであったとともに、安倍さんに助けられた8年間でもあったのです。

★2006年9月26日に第1次安倍内閣、2012年12月26日に第2次安倍内閣の発足です。
 総理になるや安倍さんは「美しい国、日本」、「戦後レジームからの脱却」、「憲法改正」など、いわゆる右寄りのスタンスを高々と発信し始めたのです。
 公明党が自民党と連立を組んでからの総理は、安倍さんで4人目です。安倍さんは、これまでの小渕総理、森総理、小泉総理の3人とは、政治姿勢が明らかに違っています。
私は、正直「大変な人が総理になってしまった」と連立の将来に不安を感じました。

★私の不安が現実のものとなったのは、第2次安倍内閣の発足と同時でした。
 安倍さんが突然、集団的自衛権の行使容認を目指して憲法第9条の解釈を変更したいと言い出したのです。総理大臣の私的諮問機関である「安保法制懇」に憲法解釈の変更を諮問し、着々と準備を開始し始めました。しかも、友党である公明党に何の相談も無くです。
 集団的自衛権の行使が容認されないことは、現行憲法の解釈上明らかであり、日本政府も集団的自衛権の行使は憲法上認められないと解釈をしてきました。
 私には、「安倍さんが自分の趣味で、長年積み上げられてきた政府の統一見解を変えようとしている」と映りました。我が党は、安倍さんの考えに加担することは出来ません。公明党に緊張が走りました。

★結局、安倍さんが、折れました。他国の防衛を目的とするフルスペックの集団的自衛権の行使容認を断念して、公明党の主張する日本国の防衛を目的とする個別的自衛権の拡張に同意してくれたのです。
 自公連立政権が、険しい難所を踏破した瞬間でした。安倍さんの思いに苦しんだ公明党でしたが、最後は自民党を抑え込んだ安倍さんの「政治力」に助けられたとも言えます。

★安倍さんの政治力に助けられたと言えば、軽減税率や特別定額給付金の事も触れておかなければなりません。
軽減税率の対象品目を巡って、「生鮮食品」に限定する自民党案と「生鮮食品と加工食品を含めた食品全般」とする公明党案が激突し、双方一歩も引かない緊張状態が続きました。我が党としては、朝、昼、晩の食事に10%の税金が掛かるようでは、そもそも軽減税率を導入した意味が無いと考え、ここは、一歩も引けない状況でした。
 ここで、安倍さんが動きました。自民党案強硬派のトップだった自民党税調会長の首をすげ替え、公明党案にまとめてくれたのです。
 翌朝の朝刊では、「自民党、税調会長交替へ。事実上の更迭」「首相、公明との関係重視」「対公明で首相決断」の見出しが躍っていました。

★2020年、コロナに苦しむ国民の経済対策として国民一人当たり10万円を給付する「特別定額給付金」が実施されました。
 もともとは、住民税非課税所帯に対する、一世帯当たり30万円の「生活支援臨時給付金」の実施が予定されていたのですが、公明党・山口代表の強い要請により、国民全体を給付の対象とする「特別定額給付金」に変更となりました。政府が閣議決定を変更し、予算の組み換えをすることは異例のことです。
 安倍総理は、後日「あの時の山口代表には、オーラが立っていた」と笑って話しておられましたが、安倍総理の強い指導力なくして到底成し得ない事柄です。                      

★こうやって思い出していると、今でも安倍さんが、あの笑顔で話しかけてこられるようでキリがありません。
 安倍総理!本当にお世話になりました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。
 
以上


2022年7月22日
公明党元衆議院議員 漆原 良夫